野岩鉄道の旅

会津西街道の旅(横川宿・中三依宿)

はじめに

今回は糸沢から山王峠を越えて横川、そして中三依への旅です。 峠越えはタクシー利用し、上三依から中三依までは歩いてみました。

会津高原尾瀬口駅

会津高原憩の家で、会津田島駅近くのタクシーを呼んでいただき出発です。

会津高原憩の家

山王峠

山王峠へは会津高原尾瀬口駅から会津田島駅方向へ行き、糸沢から国道121号線に入り戻るかたちになります。 昨日降った雪が少し残る風景を眺めていると山王大橋を渡り、県境の山王トンネル を抜けると日光市藤原地区に入ります。 この部分は旧道が残り、現在の道路が出来るまでは、曲がりくねった道をバスなども通っていたようですが、現在は車は通行不可となってます。

山王峠旧道入り口
(左側のガイドレール有るほうが旧道)

横川宿

少し行くと横川に到着。 ほんの少しだけ旧道らしき脇道があり、入って見ると、 ひっそりとした家並みが有り、一見古そうな建物も有りました。

横川の家並み 横川の家

新道との合流点に会津藩横川関所跡の標識と観音堂があり、 近くには三依姫の供養塔があるとのことです。

会津藩横川関所跡

中三依宿

上三依塩原温泉口駅近くの旧道に入ると、まもなく一里塚があり、 標識には「南山通り上三依一里塚」と記載されておりました。 (注:南山通り=会津西街道)

上三依一里塚

しかし立看には以下の記載ありました。

尾頭峠超え旧塩原街道上三依一里塚
この一里塚は街道をはさんで左右に二基残存する得がたい史跡である。
この街道は会津西街道の脇道で、尾頭峠を超え塩原に至る最短の街道である。
天和三年(一六八三)の日光地震によって五十里湖が出来た時、一時的に塩原経由氏家阿久津河岸に至る会津廻米道として重要な役割を果たした。

日光地震によって会津西街道五十里村は水没し街道も分断された。湖上輸送を始めるも米の輸送には限界があり塩原街道が利用されたようです。

上三依水生植物園付近から、国道121号線に戻り中三依に向かいました。 野岩鉄道の線路を右に左に見ながら川沿いの道を進み、 小1時間で中三依に到着。

国道121号線中三依温泉駅付近

中三依温泉駅近くの男鹿の湯で、休憩後に帰路につきました。

とりたてて感動する場面はありませんでしたが、 目線を変えての旅というのも、これまた楽し。


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<旅行日'06/03/21>

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